福田麻由子「雨と夢のあとに」[2006.8.24〜31]

ネタバレもあるので、一応このような形をとっておく。
ちなみに、原作本もドラマ版も申し訳ないことに未読、未見である。
まず、開演と同時に扉から雨が舞い込んでくる。
衣装は、白いティーシャツの上に、緑色の葉の模様がついたオレンジの服を着、
ジーンズをくるぶしのあたりで返している。
靴は、エナメルっぽい花飾りのついた水色っぽい高価そうなミュール。
北斗が持っているリュックは、雨の物だと推定されるが、
常に北斗が持っており、雨が持っているシーンはついぞ無かった。
開幕時点で父の山岳用リュックが置いてあるのは、いかなる解釈なのだろうか。
霊体よりも前にリュックが先に帰ってきたということで良いのであれば、
もはや、父は既に亡くなっていることへの暗示ということになろう。
ここでの雨に関しては、一週間ぶりに会う父との再会を心待ちにしていながらも、
未だに父が帰ってきていないことへの不安感や焦燥が、
伝わってくる鋭く緊張感のある声から伝わってくる。


オープニングの解釈は、劇の全てを象徴するということで良いと思う。
前後の繋がりよりも劇中の効果を狙ったというところか。


そして、暁子との出会い。
外に出て、父を待っていたところで、というわけであろう。
ベースの音が漏れていることや絵を褒めたことのリアクションへの反応が、
やや過剰気味に見えたが、これは雨が「良い子」だと褒められた時のリアクションへと結実する。
「良い子」だと言われ、顔を伏せるのだが、
この時、伏せながら満面の笑みを浮かべており、心底から喜んでいることがわかる。
これは単純に自分が褒められたことを喜んでいるのではなく、
自分を「良い子」に育てた父に対する評価にも繋がるため、
父が褒められたことを喜んでいると解釈できるように思う。
片親という偏見もあることから、これに負けまいと「良い子」であろうとする雨、
そして、その動機は、父に対する愛情に起因している。
絵本に関しては、結局、詳細は分からず終い、絵が描かれていたことだけは確か。


自宅に帰り、居眠りをする。目を瞑り頭を微妙に上下させている。
この時、父がベースを弾き始める。
蝶を取った時の説明をしているが、やや矛盾する。
蝶を取った時の穴では無事であったが、
その後、もう一度穴に落ちるか何か、したということだろうか。
蝶の標本には、一応蝶らしいものがいた。
「おかえりなさい」は、何度聞いても心地良い。
雨がいなくては何もできない父というあたりに、
父は雨に依存した生活を送っているが、
雨も父の存在に依存していることを匂わせる。


バーに行く前に暁子に会う。
この時も、紅茶のお礼を父にややきつく言うあたりも、
やはり、雨が「良い子」であることと良き父、
きちんとした親であることを望んでのことだろう。
これ以降も、北斗に感謝の言葉を父に言うように促すシーンもあるように、
当たり前のことを忘れがちな父への教育的な意味合いもありそうだ。
雨が「良い子」でありたいのは、きちんとした親に育てられたことの証であり、
良き父であることを証明するためでもあるのだろう。


バーに行く。
早川に手を引かれている時も、雨の父になる宣言の時も、
常に笑っておらず、真顔なのは拒絶の表現なのだろう。
断るあたりの下りは、いかにも舞台女優らしい台詞回しを
完璧にこなしているように感じた。
この後、劇の進行から雨は離れるが、
北斗とカウンターで楽しく話している演技にも余念が無い。
財布を娘に預けたままにしておくというのに、やや違和感を感じたが、
家計を担当しているのは雨なので問題は無し。
家計から家事全般をこなす小学六年生の生活というのは、
テレビドラマ化した場合、それだけで涙を誘うような。


父を探し回り後、帰宅。
北斗による暁子への勘違いのシーンは常に笑っていた。
父が無断で帰ったことが、解せないので、
暁子と恋に落ちたという解釈が成立する。
この解釈が決定的に間違いであることに気付くのは、
父が死んだことに気付くことを意味しよう。


再び、バーに行く。
霧子に褒められた時の雨の表情が良い。
マリアが登場し、浮き足立った雨が、
地面に倒れている北斗に話しかけたり、
高い声でマリアに話しかけているあたりは、
雨がマリアの熱烈なファンであることを窺える。
このシーンでの暗転時、貰ったサイン色紙をもって
北斗と喜んでいるのが常だったが、
千秋楽では北斗を色紙で叩き、霧子も北斗に攻撃を加えていた。
何かあったのかもしれない。


雨は出てこないが、マリアが早川の元に訪れるシーン。
この時、雨に会ったが、自分のことは何も話さなかったという
あたりから目頭を押さえ、その葛藤を露わにしている。
部屋を出るときも目頭を押さえ、舞台の袖に入る直前では、
(少なくとも、30日と千秋楽では)口を開けるという演技をしていた。
廊下では何とか、泣くの堪えていたが、
感情を抑えきれずに嗚咽しているという解釈であろうか。


友人と買い物後、帰宅。
小学生らしいこともしているようで一安心。
もっとも、家計が赤字なので何も買わないのは、相変わらずだが。
この時点では、暁子と父が付き合っていると思っていた模様。
「おい」のシーンは秀逸。
要所要所で、低い声を織り交ぜ、台詞に緩急をつけるのが、
福田さんの上手いところだと思う。
今後、加年と共に、低音の音域も広がると思うので、
バリエーションが増えてゆくのであろうか。
負担にならないのなら、歌にも挑戦していただければと思う。
雨と夢のあとに」を福田さんが歌ったら、どんなに良いだろうか。
と、妄想は果てしなく続きそうなので、話を戻そう。
そして、マリアからの電話。
「はい、桜井」というタイミングでマリアが話始めるバージョンと、
「です」まで言い切るバージョンがあった。
演劇時間短縮の意図があったのであろうか。
ここでも、雨の興奮が伝わってくるよう高音での演技。
父や暁子の意志に反して、マリアの話を聞いてくるというのも、
雨のマリアファンとしての気持ちもあろうけれど、
良き父であって欲しいという気持ちもあろう。
謝罪を拒絶するような不寛容なあり方は望ましくないだろうから。


マリアとの会食後。
この北斗への怒りも、とても良い。
テーブルマナーの悪い北斗を連れて来た雨、
ひいては雨を育てた父の評価にも関わってくると考えるのは考えすぎだろうか。
この時点では、マリアに対する時は、高い声を使っている。
熱心なファンとしての雨という位置づけだろう。
マリアが北斗を知っていることに、表情を明るくするが、
北斗がマリアのことを覚えていないことに不満げな表情を浮かべるあたりも流石。
マリアが、母だと知らされての「えっ」という絶句は絶品。
最前列で聞こうとも、1階の最後部の座席にいる時と同じように聞こえるのには舌を巻いた。
ともすれば、ささやくかのような声であるのだが、確実に劇場内に響いている。
低音の強みというあたりであろうか。


三度、バー。
父にマリアの下に行くことを断ってくれと頼む雨。
こういった正式なことは、親が断るのが筋であるというのが、
雨の「きちんとした」親像には、あるのであろう。
暁子や北斗へのお礼を父が改めて言うことと同列線上にあると考えて良いはず。
この場合は、むしろ雨自身の気持ちが重要なわけではあるが。
家事全般を雨がやっていること等が、マリアが雨を引き取る論拠となっており、
父に対して親として失格であることを意味している。
このあたりに心を痛める雨が俯きの度を深めるあたりで表現されている。
そして、マリアから父が実父ではないと知らされ、再び絶句。
即座に早川の声に余韻がかき消されるが、千秋楽付近では、
やや間ができたように感じるのは、恐らく自分の感覚的な問題だろう。
このあたりでの姿は、奇跡という他無いような端正な美しさであった。
福田さんを産み育ててくれたご両親と、これまで福田さんを取り巻いた環境、
これまで関わってこられた方々、そして福田さんご自身に感謝することしきりだった。
福田さんをこのように磨き上げ、現在に至らせたのだから。
そして、父を呼ぶ声もまた素晴らしかった。
この時の表情も見たかったのだが、これに関してはどの席からも見れなかった。


実父の家に行く。
父の幸せを願い、マリアの下に行こうか、葛藤する雨。
「わからない」。この低音も良い。
父の幸福について語るあたりは、表情が明るく、
自分の身の振り方考えるあたりは、沈んだ表情で演じる。
この使い分けも見事であった。


実父の家から帰宅する雨。
やはり父への愛が勝ることを全身で表現されていた。


ピクニックシーンへ。
北斗と水切り。
父や早川と釣り。
魚に対する早川の台詞も毎回アドリブなような。
BGにかき消されて聞き取り難いが。
北斗と父のお手玉
記憶によると、関西初日、土曜午前、日曜は成功。
土曜午後、火曜は、最後の方で失敗。
水曜は、早い段階で父が失敗し、北斗と雨からみかん(玉)を投げられていた。
千秋楽は、客席に父が玉を放り込み、北斗が客席に入り取るということに。
雨は、この時拍手していた。
記念撮影に移り、最初は、片手を父の肩に置き、ピース。
次いで、ダブルピース。


降雨後、帰宅。
ベースを暁子と聴きいている最中に倒れる。
暁子が電話で救急車を呼び、父が運ぶ。
心を込めて話したので声が伝わり、
救急車で運ぶ際は、置手紙等で何とか工夫をしたのであろう。
そのあたりは原作に譲る。


病院での検査後。
白いコールテ生地風の長袖、長ズボンで登場。
靴は、白いシューズ風のスリッパか。
父の姿が見えない霧子のおかしな挙動、
誰もいない所に手を振っている等を追求する雨の姿が、微笑ましかった。
無理なダイエットへの返答が、霧子の声によって、聞き取り難くなるのは、
劇中の効果を考えたら、止むを得ないあたりであろう。
霧子の言動に不信感を抱く雨。
いたたまれずに、帰宅する早川。
帰り際の台詞もアドリブのようだったが、火曜以降からしか、
注意を払っていなかったので惜しい。
父に、霧子の挙動がおかしいことを本気で心配する雨。
この時点で、父の死に気付いていたかどうかは定かではない。
これも原作に譲る。


雨は不在だが、暁子と父との会話中にマリアから電話。
家裁に訴えた旨を伝えるのだが、裁判で争うことが、
雨を傷つけることになるため、抵抗を持っているのは、
父だけではなく、マリアも同じである。
このことが、電話を切った後、
マリアが目頭を押さえているあたりで、表現されている。


退院後の帰り道。
衣装は膝上あたりのブルージーンズに薄い桃色の服。腰にアクセサリー。
靴は薄いピンクの細いストライプが入った白いシューズ。
初日から金竜ラーメンであったが、千秋楽のみ551の豚マン。
高柴に出会い、暁子と付き合っていることを知る。
蝶の下りとコクリと肯くあたりは、客席も沸いていた。
帰宅後、家にいた暁子はそのことを悪びれるでもなく認める。
この段階で、父や霧子らの旅行後からの挙動不審に加え、
暁子との不可解な関係からも父の身に異変が起きていることを感じていよう。
物語序盤で、暁子と幽霊の話をし、暁子が霊感が強いといった
謎を解く重大なヒントが与えられていようし。
そのことが、父が長野に突如行ったことから、確定的になる。
そして、北斗を促し、長野に行くことになる。
千秋楽では、この時、暗転する際、北斗の背を軽く何度か押していた。
こうも続くと、北斗演ずる畑中氏が、単に、
こういったことをされ易いキャラなのだろうと思うことにした。


雨は登場してないのだが、父と祖母の再会のシーンに、
左側から見え難い笑い所が一つあると以前書いた場所がある。
千秋楽で、これは関西公演から追加されたアクションだと知らされた。


一路、長野へ。
ここでも北斗は雨のリュックと自分の鞄を二つ持っている。
「不甲斐ない」の台詞も劇場を沸かせていた。
祖父登場、登場と同時に客席前列から笑い声が漏れる。
希に笑い所を間違える客もいるが、これは結構広がりがあった。
オープニングが流れ、雨の姿を見ながら涙しかけるという、
完全に泣き所を間違っている自分が言うのもあれだけど。
共に、役者の凄さということでまとめておく。


祖父母宅来訪。
祖母、父と再会。
初日にあった祖母の「田舎を」という台詞が削られた模様。
父は心を閉ざし気味であったが、祖父の死ぬまでに和解したいという強い気持ちが、
その姿を見ることを可能にしたのであろう。
祖父と父との和解に喜ぶ雨。
祖父、新聞を持って再登場。
この新聞は、毎回違う模様。
次いで、雨も登場。
納豆の下りは、今公演で一、二を争うほどの大爆笑を誘った。
客席の笑いが収まる間を見計らった演技が毎回なされていた。


長野からの帰路。
毎回、ガリガリくんだったが、千秋楽では何だったか、思い出せない。
ここで、暁子が死んでいると聞き、三度絶句。
ここも効果的に用いられていた。
とかく大げさになりがちな驚きの表現を劇の雰囲気を壊すことなく、
それでいて驚いていることを如実に客席に伝えれる表現法として、この上ないように思う。
暁子の部屋に移り、暁子が存在することと、
高柴による暁子の死という矛盾を受け入れる雨。
この時点で、父の死を確信しており、そして、その姿や声を見聞きできない人間がいる、
という事実を知っているからこそ、暁子も幽霊であることを受け入れたのであろう。


そして、心霊シーン。
初日のSEは、やや大き過ぎたような気もした。
初日以降は、少しボリュームが絞られた気がしたのは慣れのせいだけか。
ここで、雨の根本的な考え方が示されている。
好きな人には、好ましくないことはして欲しくない。
このような考え方である。
当然、大好きな父には、少なくとも外に対しては、
きちんとした親であって欲しいしといった見方の論拠の一つにもなろう。
そして、幽霊であろうとも暁子を受け入れるあたりは、
幽霊であろうと父は父だと思っているからこそ可能になったとも考えられる。


雨はいないのだが、祖母からの電話。
霧子と祖母が電話で頭を下げあうシーンがある。
関西初日では、数秒間、頭を下げあうことで、
劇場の笑いを微妙に誘っていたが、
三日目以降、最低限、頭を下げあう程度に止められた。
このような改変があったように感じた。


再び実父宅へ。
この時、ポケットからビーズ細工のような物が出ている。
これは、恐らく、雨の携帯ストラップであろう。
マリアが台湾で見つかった遺体が父であることを
言おうとしているあたりから、
既に雨は父の死が告げられることに勘付いており、
これを聞くことを拒絶している。
この時点で、遅くとも父の死を知っていたと言えよう。
ここで、また雨が倒れるのは、父に加え、
暁子と長時間、接触した影響であろう。


ベッドにて。
ここでの動きは、二パターンある。
共通しているのは、まず自宅に電話をかけるが、
早川により実家の電話線を抜かれる。
そして、北斗に電話をかける。
その後、何度も自宅に電話をかけるのだが、
当然繋がらない。
この間、隣りの空間では、自宅で物語が進行しており、
自宅周辺の報道陣対策について検討している。
ここまでは、共通している。
早川が強行突破を提案するあたりで、
電話をかけることを諦め、顔を伏せるバージョンと、
その強硬突破案を却下する霧子が話し終わるあたりで、
顔を伏せるバージョンの二つである。
この顔を伏せている間も、ただ顔を伏せているだけではない。
両手にタオルケットを持っているのだが、
時折、手を伏せている顔に持っていったりと、
苦しさに耐えながらも、何とか約束の時間まで
持ちこたえようとする様子が表現されていた。
そして、父が霧子流の別れの挨拶を受け、
劇場が笑いに包まれている時も、ピクリとも反応せず、
玄関へ向かう準備をしている。
マリアらに止められるシーンでの抵抗は、
病み上がりだけあってか、力弱いものとなっており、
台詞はほとんど聞き取り難いまでに絞られている。


北斗と合流。
早川への電話の第一声が、心配をかけたことへの
謝罪の言葉であるあたりも、「良い子」が板に付いている。
そういえば、病院でも同じように謝っていた。


遊園地へ。
遊園地シーンの時、舞台の袖から出てくるときは、
その前のシーンがいかにシリアスなシーンでも、
雨は溢れるような笑顔で出てくる。
先日、これを福田さん自身の笑顔をかと、勘違いしたが、
これは大好きな父を独占できる唯一の場所に来た喜びと
その思い出が詰まった場所への愛着を表現した笑顔であろう。
むろん、その父の死という現実に引き戻され、
表情は引き締まるわけだが、
観覧車に向かい走っている時だけは、
現実を忘れて、思い出に浸ることができたのだ。


父と合流。観覧車へ。
このあたりは、娘無しには生きていない父と、
父無しには生きていけない娘であっただけに、
この時点での親との別れは、言葉にならない。
雨が「良い子」であろうとしたのは、
全て父のためであり、その父がいなくなるというのは、
途方もなく耐え難いことであろう。
加えて、雨を福田さんが演じているわけなので、
父役を演ずる岡田(達)氏の演技も、俄然、説得力が出てくる。
そして、父を想う雨を福田さんが熱演することで、
この相乗効果は、計り知れない。
この時、福田さんの目に光るものが見えたように、
何度見ても目に熱いものが込上げてくる。
父の死後の幸福を見届け、別れを終えた後、
北斗に涙を見せるでもなく、落ち込みながらも従容と帰路に
つくあたりに雨の強さを感じた。


エピローグ。
遠方から雨が見えているというシーンで、
舞台袖をついついみてしまうが何も見えず。
白いセーラー服に赤いリボン、黒いロングスカートの制服姿。
靴は迂闊にも見忘れた。
やはり、弾けるような雨の笑顔に、
ついつい目を奪われてしまう。
京セラドームのレセプション時と同じ衣装。
この時、霧子との旧交を温めるシーンは、
霧子によるアドリブが多かった。
拳で頬触れたり、つまんだりと。
千秋楽では早川までも霧子に倣った。
空を見上げるシーンで終幕。


福田さんによるカーテンコールでの客席への礼は、
何度見ても清々しい気持ちにさせてくれる。
あのような恭しい礼をされるに相応しい人間にならねばと、
思うことしきりである。
あと、台詞覚えは勿論、演技も全て完璧にこなす福田さんが、
いかに舞台で燃焼し切っているのかが、
カーテンコールを見れば伝わってくる部分もある。
夏休み30近い公演を精一杯演じ切った結果、
能力面の向上を促し、更なる飛躍を遂げることは間違いない。


千秋楽の一言感想は、撮影している関係者がいたので、
DVDに収録されるので、これに譲ろうと思う。
福田さんが再び舞台に立つことを望むのであれば、
DVDの売上に貢献しない手はない。
拍手にかき消されてしまい、少し聞き取り難い挨拶を
音声さんが補正してくれることをやや期待しながら。


最後になってしまったけれど、福田麻由子さん、
心より御礼を申し上げます。
あなたの存在無しに、もう一度、人生をやり直そうと、
私が堅く心に誓うことは、考えられないことです。
本当にありがとうございました。
そして、本公演「雨と夢のあとに」に関わった全ての方々に
心から感謝の意を表したい。
どうもありがとうございました。と。