法律上、結婚できないことが持つ意味。あるいは、「15歳以下であれば、誰でも大好き」について。



・15歳と16歳の違い


 15歳と16歳の差に、本質的な違いはない上、U-15という商業主義的理由から生み出された側面も否定できない。だが、敢えて現代日本社会において、その差を問うとすれば、法律上、結婚できるか、否かである。結婚できないことの意味は、結婚に関する価値観によって、大きく変わる。このため、誰もが認める消極的な意味と結婚に対して否定的な人々に通用する積極的な意味とに分けて考えてみることにする。


 まず、15歳以下であることの消極的な意味を見出すとすれば、結婚というスキャンダルが、絶対に起きない存在と言い切れることだろう。16歳になれば、15歳以下の時に感じていた魅力から、結婚というスキャンダルの可能性が加わるため、この可能性の分だけ魅力を差し引かないといけなくなる。結婚によるイメージダウンの有無に話を限れば、結婚による幻滅が起こりうることを考慮した魅力は、15歳以下の時に感じていた魅力よりも劣る。もちろん、自分が結婚できる可能性というプラスの側面もあり、必ずしもトータルで見たら魅力が劣るとは言えない。その上、この15歳以下であることの消極的な意味の泣き所は、結婚以外のスキャンダルが存在することにおいては、何等変わらない点である。そして、一番の泣き所となるのが、結婚が法律上不可能であっても、結婚によるイメージダウンと同じ効果を及ぼす男女関係にまつわるスキャンダルが存在することだろう。この種のスキャンダルは、結婚が法律上不可能であることによってもたらされたメリットを減らし、法律上結婚できないことに対して消極的な意味しか見出せなくしている。このため、結婚が法律上不可能なことに積極的な意味を見出すためには、少なくとも15歳以下において、結婚以外の男女関係をどうにかしなければならない。この問題を解決することで、15歳以下は、結婚が法律上できないことによるメリットを、結婚以外の男女関係によって減らされることなく、最大限生かすことができるようになる。


 結婚以外の男女関係によって、15歳以下であることのメリットを失わないためには、現実や常識から離れた想像によって補う部分が大きくなる。想像によって補うことさえできれば、法律上結婚ができないことのメリットを最大限生かして、結婚に対する負の感情が大きければ大きいほど、15歳以下をより魅力的な存在にすることができる。このため、想像による補完は、二つの考え方が必要になる。一つは、15歳以下における結婚以外の男女関係に対する考え方だ。もう一つは、結婚に対する負の感情を生かすことで魅力を引き出すための考え方とによって構成される。結婚の負の感情を生かす際、一番の泣き所となるのは、繰り返しになるが、男女交際や同棲といった結婚を不用とする男女関係が存在することだ。この泣き所を解決することが、負の感情を生かすための前提となる。


 この考え方は、まず、男女間の交際や同棲等のスキャンダルが、少なくとも15歳以下に起こる可能性をできうる限り、低く設定することから始まる。そして、15歳以下に限れば、万一男女交際等があっても、結婚以外の全ての男女関係は、軽いもの、一時的なもの、価値の低いものと考える必要がある。具体的には、以下に列挙するような思考法となる。


 15歳以下に関するスキャンダルは全て陰謀や捏造であって、本当は起きていない。万一、本当にあったとしても、止むを得ない事情があった。あるいは、本人の意思ではないので犬に噛まれたようなもの。または、本人が騙されているだけ。万一、合意があったとしても、合法上でないため認められない。あるいは、きちんとした判断ができない年代なので本当の意味の合意ではない。そして、極めつけは、本当の意味での合意ではないで本当の意味で汚れてない・・・。等々。


 結婚や男女交際等に対して、こういった種類の考え方が必要となる。そう考えることによって、15歳以下が起こすかもしれない男女関係にまつわるスキャンダルは、ほとんど起きたことにならないし、万一起こったとしても、結婚ほど深刻なものではないと思うことができる。少なくとも15歳以下において、このように男女関係にまつわるスキャンダルは、結婚以外重要なのもではなく、結婚を唯一の懸念材料であると思い込むことができるかどうかが重要になる。理想を言えば、15歳以下において、結婚以外のあらゆる男女関係はありえないという信念を抱ければ最高であろう。


 こういった一連の考え方を前提にすることで、結婚によって失われるダメージとは無縁の存在として15歳以下を見ることができる。確認の意味で触れておくと、15歳以下は、結婚が法律上できないため、合法違法を含めた男女関係を持つことが無い、万一持ったとしても結婚ではないので、たいした意味を持たないという認識が必要になる。この認識によって、結婚が持たらす男女関係や支配関係、あるいはこれらによって生じるケガレといった様々な負のイメージと真逆の存在として15歳以下を見ることができるようになる。男女関係に関する唯一の懸念材料である結婚とは最も縁遠く、真逆の存在と見ることこそが、結婚に対する負のイメージを15歳以下の魅力に変換する考え方となるのだ。これは結婚による負のイメージからもっとも離れた存在であり、そのイメージによって汚れる心配がもっとも少ない存在であることが、15歳以下の魅力に無条件で備わっていることを意味する。これは結婚の持つ負のイメージが大きければ大きいほど、それからもっとも遠ざかった存在であるため、15歳以下の魅力が増すという仕組みになっている。具体的には、下記に列挙する結婚とは対極のイメージによって生じる魅力と言うこともできるだろう。


 15歳以下が合法に誰も自由に触れることができない存在であり、もっともケレガレとは無縁の神聖な存在というイメージが一例となるあろう。あるいは、結婚を古風に見れば、誰の所有物でもないと見れるし、結婚以外の関係を軽視すれば、誰の支配にも属していないと見ることもできるはずだ。このあたりは、結婚に対して、どのような負のイメージを持っているかによって変わってくる。より具体的には、結婚できない年齢であることによって、15歳以下に対して、神聖さや愛おしさを感じたり、庇護欲を抱くこともできると言えよう。


 これらに魅力よって抱く感情は、16歳以上に対して抱く感情と、その完成度において違う。16歳以上においては、いかなる神聖さや愛おしさ、あるいは庇護欲を感じたとしても、男女関係のスキャンダル、とりわけ結婚という致命的なスキャンダルによって、失われかねない。一方、15歳以下においては、結婚外の男女関係のスキャンダルがほとんど問題にならないため、唯一の懸念材料となっているのは結婚だけである。その結婚さえも、法律上、日本では絶対に無いのだから、男女関係のスキャンダルによって、魅力が損なわれないのである。このため、現代日本において、15歳以下の魅力に対して抱く感情が、もっとも完成度が高い神聖さ、愛おしさ、庇護欲となるのだ。15歳以下であれば、無条件にこのような魅力を感じるため、15歳以下のアイドルや歌手が持つ個々の魅力との間で相乗効果をもたらす。その結果、「15歳以下であれば、誰でも大好き」という症状を引き起こすということになるわけだ。


・二次元に関して


 結婚とは対極に位置する存在という意味において、二次元がより完成度が高いとすることもできなくない。二次元とは、物理的に結婚することができないという強みがある。そのあたりは、個人の嗜好次第となろう。


 ただし、二次元とて完璧ではない。二次元は、アニメ化等の可能性から声優の存在を意識せざるを得ず、常にイメージの低下の可能性に悩まされるという懸念材料が存在する。声優が15歳以上であれば、結婚等のイメージを切離すことができない。その意味で15歳以下の声優による二次元が最強と言える。


 もっとも、これに関しても、次回作、あるいはリメイクにおいて、15歳以下の声優が担当するとは限らない可能性が存在する。このように、誰でも声をあてることができるという二次元の性質は、完成度が下がらざるをえないという見方もできよう。その上、このイメージの低下は現実の15歳以下と共通しているのだが、15歳以下の声優が年齢を重ねたら、いずれは結婚できる年齢に達するというイメージの低下を二次元も同じく免れる術を持たない。また、二次元のキャラも年齢を重ね、結婚できる年齢に達する可能性を有している。


 いずれにしても、15歳以下の男女関係を問題にしないような考え方を二次元に合わせて考え出せば、これらは全てクリアーできる問題となろうが、ここでの趣旨から外れるので言及しないでおく。ただ言えることは、強靭な精神力を生み出す嗜好の前には、あらゆる問題が問題にならないことだろう。日本の法律上、二次元や同性、もしくは15歳以下と結婚できないことさえも、その嗜好の対象の魅力を引き出す糧となるように。そして、これこそが、法律上、結婚できないことが持つ意味。あるいは、「15歳以下であれば、誰でも大好き」ということになろう。